七基の日記

特別支援学級出身・地方国立大学生の日記

怒られることが怖い【特別支援学級の経験から考える】

こんにちは、七基です。

今日もいつも通り日記を書こうと思ったんですが、大して書くことも無いので、久しぶりに自分語りでもしていこうと思います。(そこ!日記も自分語りだろ!とか言わない!)

私は失敗して怒られたりすることを極端に恐れるというか、そういう性格的な嫌いがありまして、怒られる環境下にある時は怒られない様に気を引き締めて動けるようになるというメリットのようなものもあるんですが、大半は失敗を恐れて行動ができないとか、人の目があるときは委縮して積極的に行動が取れないとか、そんなデメリットばかりのような気がします。

人に怒られることを無くすためには、物事を完璧にこなせば問題無いのですが、それほど優秀ではない人がそれを目指そうとすると「無能な完璧主義者」とか言う一番残念な結果になってしまうと思うんですよね。何かをする際には、完璧にできないといけないと思う。それ故に、行動を起こそうとする際には、まずこれは自分にできる事なのかを第一に考えてしまい、結局行動を起こせない、あるいは起こすまでに時間を要する。

何かを行っている際にも人の目をとにかく気にしてしまう。例えば、課題とかテストとかやってるときですけど、先生とかが様子を見るために教室を回っていると、横を通るときにさりげなく画面を当たり障りのない物に変えてやってる感を出したり、絶対に間違えている回答を見せない様に、裏返したり。最近実際にあったことなんですが、別に怒られるようなことで無くても、変な感じに思われるのではないかと考えたら、保身に走るような行動を取ってしまう。

では、なぜ自分が怒られることを恐れて、人の目を気にしてしまうのか。その理由について考えていきたい。

理由:怒られることへの耐性が全く無い。

ブログタイトルの下にも小さい文字で書いてあるが、私は義務教育の9年間を特別支援学級にて過ごした。そこでは当然、何かをしでかしたら怒られるわけだが、時折交流授業と題して、体育や音楽など一部の科目で通常学級のクラスとも関わっていく事となる。

あれは、4年生の運動会を控えた5月。ダンスの練習をしている時だった。集団行動が苦手だった私は、ダンスの動きが全く理解できず、本来いる場所とは異なる場所にいたらしい。(らしいというのは、ダンス練習について基本的な動きは別の学活?とかの時間に教えていたのか、陣形については体育の授業では触れられることが無かったから。)

正直、私はどこに並んでいいのかもわからず、とりあえず出席番号が前のY君(支援級は番号が無いので一番後ろとなる)の後ろに並んで、前の人の動きを見ながらダンスをワンテンポ遅れながらやっていた。陣形移動が始まると私はどこに移動していいのかわからず、適当に動いていたと思う。(記憶が曖昧で自信がないが)

怖いと話題の女の先生が担任だったので、突然先生が音楽を止めて僕の方に向かって、「そこにおるのは誰な!」とマイクで叫ぶ。近くにいた生徒が「七基君です」と言うと、突然声量がフェードアウトして何も言わなくなって、仕切り直しとなった。

今のエピソードで伝えたかったのは、突然怒られて怖かった。ということでは無く、結局は怒られなかったということである。そう、私とわかって先生は怒らなかったのである。

一応他にもエピソードはある。例えば、同じ4年生の頃運動会の練習で、体育座りで先生の話を聞いたとき、持て余していた僕は足の毛をむしっていた。その後のお説教の時に「足をむしっとる奴もおる!」と遠回しに僕のことを怒っていたが、名指しでは無かった。中学2年生の時には、体育で剣道をしたときに、一人の生徒が舌打ちをして、それに激怒した先生が30分ほど説教をしていた。その際、一人一人の男子生徒の名字を順番に呼んで、反省を促していたのだが、私の苗字は呼ばれず飛ばされてしまった。

このように、小さい頃に何故か自分だけ、怒られないという経験もあってか、怒られるということに対しての免疫が他の人より弱くなってしまったのかなと思う。高校に入ってからは他の人と同じ立場に置かれる訳で、何かしでかすと当然怒られるわけだが、何かに付けて怒られない様に優等生を演じるようになった。

たまに気が緩んではしゃぎ過ぎて注意された際には、他の友人と比較しても重く受け止めて、その一日は引きずるといったことも珍しくなかった。

怒られない様に努めることで、優等生を演じるというのは自分にとって成長につながる事だとも思うが、それは叱ってくれる大人がきちんといるという必要条件があると思う。大学生と言うのは自由だ、授業を休んでも単位を落としても、結局は自分の責任なので、腐るも輝くも自分次第。俺は、そんな大学で腐ってしまった。

どんなに怒られないように取り繕っても、結局は怒られたくないという後ろ向きな理由があるから、真に勤勉でもなんでもないのである。監視の目が無ければ緩むし、自分自身を律することができない。

こうして文字に起こすほど自覚があっても、今日まで誰にも怒られないことをいいことに腐り続けてきた。あと1週間もすれば2年生の講義も終わる。

怒られることへの耐性を付けるには怒られればいいのだろうか?でも、自分から怒られるようなことをするほどアホでもない。となると自信をつけることが一番いいのだろうが、自信をつけるために必要な挑戦は、失敗して怒られる(怒られはしないと思うが)、などネガティブな想像をして、踏ん切りがつかないし、そもそも何をしたらいいのかがわからない。

考えれば考えるほど、ドツボにはまっていく感じがある。だが、その解決策を見つけることもこの大学生活における課題なのだろうと思う事にして、これから見つけていこうと思う。

それでは、また!