大学を卒業 そして社会人へ
お久しぶりです。七基です。
久しく更新はしていなかったんですが、Xを始めたのでそこでほぼ毎日日記を書いてそれで満足してしまっている自分がいる。
正直言って、毎日更新する程僕の人生が濃いのかと言われるとそうでもないし、時たま140字すら碌に書けないという日もあるので、Xで書くようにしたのは正解だったかもしれない。
そして、今回のテーマですが、今日は4月1日エイプリルフールですが嘘だったらどれほど良い事か、今日付けで正式に学生としての身分を失い、新卒で入社した社会人となりました。

入学式の時はメンタルがズタズタだったので参加できませんでしたが、同じ東広島運動公園で行われました。
式が始まる前は同期と喋ったり、高校時代の先輩が院から自分と同じ大学に来ていて修了するので会ったり…(その先輩は同じ大学の博士課程へ進みます。)
とにかく入学当初とは比べ物にならないくらい充実した学位授与式だったかなと思います。勿論、知り合いの数で言ったら他の人よりかは少ないですし、卒業しても一緒に遊んだりする仲かと言われると中々、お互いの都合も会って難しいかもしれません。
大学の間で終わってしまう仲かもしれませんが、それでも自分にとっては仲良く親切にしてくれた大切な人たちですし、可能であれば今後も機会がある限り関わりを持ち続けたいなと思います。
そんな人たちに出会えたことがもしかしたら、この大学生活での一番の成果かもしれませんね。
関わり自体は2年生の時からあったんですが、その頃は自分が自分の世界に閉じ籠ってしまっていたので周りの人からすると関わり辛い面もあったかもしれませんね…
3年も終わる頃には、その距離もだいぶ縮んでいたような気もします。
式が終わった後は研究室で学位記を渡す会があったんですが、自分のこれまでの人生。もっと言うと10年前からこれまでですが、以前少し書いたように自分の母親が亡くなったのが13歳、中学1年生の9月だったので丁度10年と半年なんですよね。
当時は発達障害の支援学級に通っていたこともあって、小学校時代には算数と国語しか授業は受けてないですし、勉強してた時間よりも外を走ったり畑を耕したりと勉強以外の時間の方が長かったかもしれません。
それだけならまだ良いんですが、自分の進路については本当に自分で考えていなかったというか、全て母親に委ねていたので、恐らくそのままでは自分で自分の人生に当事者意識を持つことなく、言われるままに生きていたと思うので、きっと今の大学には通っていなかったんじゃないかなと思います。
母親が亡くなったことが自分の一番のターニングポイントというか、それがきっかけで自分の人生に当事者意識を持つようになった。
将来貧しいのも嫌だし、人から馬鹿にされるのも嫌だ。じゃあ、自分の人生を好転させるためにはどうしたら良いのかと考えたところで、良い大学に入って良い仕事に就くというのが一番近道だろうと考えてここまで頑張って来たので。
その10年間を振り返りながら、いざ学位記を受け取ると、もうその瞬間涙が止まらなくなってしまい、最後の挨拶でも自分の本来言いたいことを言えず、ただただ感謝の言葉を述べるに留まってしまいました。
正直、ここまで来ることができたのは自分の一人だけの力では確実に無理だったなと思います。努力をするにも当然それが許される環境が必要ですし、努力をするために最も重要となるのは個人のモチベーションですから、なぜ努力が必要なのか、本人がそのことに気づく必要があります。
でも結局それって希望が必要な訳で、家に帰ったら父親が母親を殴っていて飲み終えた酒の缶を投げつけてくる、みたいな家庭だと希望何て抱けるわけないんですよね。
タイミングとか環境に恵まれた上で、努力が必要だと自分自身が自覚する。このことが成果を出すために最も必要な訳で、成果を出せなかったことを自己責任の一言で片づけてしまうのは余りにも視野が狭いと言わざるを得ない。
近年では、ネオリベ的インフルエンサーが自己責任論を振りかざしていますが、自分が想像する以上に日本には悲惨な境遇の人、努力しようにもできない人、気付けない人がいることを自覚しないといけないなと思います。
そういう意味では本当に運が良かった。
9年間特別支援学級で過ごせたこともそうですし、まだ取り返しの付く中学一年生で努力が必要だと気付けた、日本には給付奨学金の制度がありお金が無くても実家暮らしの国立大学生なら借金をせずともバイトをすればそこそこまともな大学生活を送ることができた。
私の兄弟の話になってしまって申し訳ないが、2つ上の兄弟は特別支援学級に入ったのが小学校の高学年くらいからだったと思う。
そのことが普通学級に馴染めなかったという大きな挫折経験に本人にとってもなっただろうし、自分のように発達障害向けの教育を受けられる期間が短かったことも可哀そうな事だったと思う。
加えて、母親が亡くなったのも中学3年の9月というそろそろ進路を固めて人生について考えようという時期だ。
彼にとっては世界の殆どが母親ありきで構成されていて、髪の毛を切らないのも一日中ネットをするのも、偏食をするのも全て肯定して貰っていた。
そんな中で「お母さんはもういません。自分の人生どうしたいのか考えてください。」と言われてもその状況でそれができる人なんてこの世界で一人もいないんじゃないかな。
まあ、これに関しては当時の僕が何かできたわけでもないですし、今になって何が出来る訳でもないんですけどね。
ちなみに、発達障害に関してはこの間正式に診断を受けてきました。
自閉症スペクトラムとADHDの併発らしいです。その中でもASDの方が症状の傾向が強いそう。
新社会人になる前に、いざ正式に病名を告げられると「知ってましたよ」と同時に「今後大丈夫なのか?自分」という気持ちが混在しています。
入社式についても本日執り行われましたが、周りとのコミュニケーションではまだまだ課題が多そうです。
まぁ、コミュニケーションを取ったとて配属で一緒になる人は1人もいないんですけどね…
詳しくはまた書きたい。書けたら書きます。久々に長文書いて疲れたよ僕。
どうするのが良かったのか全く分からなかった一日
やあ。
今日は何の日か分かるか?
そうだね、劇場版「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」前編 : 春の陽だまり、迷い猫の公開日ですね。

最初の方はアニメでやってない部分もあって、しっかり作りこまれていたかなという印象です。それと、名台詞も二回聞けます。制作陣、分かってるじゃないですか。
はい、映画は楽しめたんですが、他で上手くいかない事が多すぎて、Xの140字だとこの鬱憤を晴らせないと思いましたので、今回はブログに書きます。誰も見てなくても書きます。日記ってそんなもんなので、俺の好きに書きます。
文句があるならかかってこい、全員ぶっ潰してやる。
あ、勿論。個人攻撃はしません。それは私の信ずる義に反しているので。
自戒のみ、これ基本です。というか、全部俺の無能が招いた結果だしね。
まず、市内に出る時には社会貢献として献血をしているんですよね。最初は献血をした後で映画を見に行こうとしたんですが、そしたら結構間に時間が空いちゃうので、電車の中でやっぱり映画を先に見ようという考えに至りました。
しかし、当日の予約変更はもうマイページじゃできなくて、電話しないといけなかったんですよね。電話苦手なのであんまりしたないんですよね~なので、コロコロ変えるくらいなら自分の頭で少し考えればわかるんだから、最初から後にしとけよって話ですよね~
ショッピングセンターに併設されているシネコンで見ることになってたんですが、ちょっと時間があるのでご飯を食べようと思って、喫茶店に入ったんですよ。
どう手も良い情報ですけど、僕はグラタンが好きなので、某星○コーヒ店に入店しました。10時頃の話です。外に置かれていたメニュー表にグラタンがあったのでね。
当然、それを頼んだ訳なんですけども。はい、10時はまだモーニングしかやっていないとの事でした。
それならそうと書いていて欲しいですよね~察することのできなかった僕が悪いんですけど。文句言わずに、結局コーヒー頼んだんで許してくださいな。
トーストとゆで卵が出てきましたけど、素手なんですよね食うの。
僕は素手でご飯を食べるのが信じられないくらい苦手なんですよね。バーキンでポテトを食べる時は紙ナプキンをクッションに掴みますし。コメダのサンドも箸を貰って食べます。
手で食べました、ちゃんと。文句言うな。
ゆで卵は上手く剥けなくて、底部が殻ごと持って行かれました。もう、それ以上向いて食べようという気力すら出てきませんでした。
これが萎え、一つ目です。
2つ目は、パンフを買うのに50円玉を出さなければならない所、5円玉を間違えてしまって、店員に指摘されるまで気が付かなかった事ですね。とても恥ずかしかったです。
萎え、3つ目
イ○ンから出てバスに乗ろうとした所、歩道橋を登る段階でバスが到着、目の前で乗り過ごす。ちなみに、Googleに従い矢○新町から乗ろうとしたが最寄りのバス停は天○川北。そっちに向かっていれば余裕でバスには間に合った。
土地勘ないからね。仕方ないね。それと紙○町で降りないといけない所、乗り過ごして終点の県○前まで連れて行かれました。ガチ萎えです。
萎え、4つ目
献血へと辿り着きましたが、予約の20分ほど前、ご飯を碌に食っていなかったので何か食べたかったが、微妙な時間。このままとっとと受けてしまおうと献血に向かったが、今日に限って何故か信じられないくらい痛い。
血を返す段階で電気が走ったようなピリツキが出始めたので、3回繰り返すところ1回で終了。
もうこの時点でクタクタだったのですが、悲劇は終わりません。
萎え5つ目
とにかく腹が減ってイラついて仕方なかったので、喫茶店で朝有り付けなかったグラタン……は無かったのでドリアを食べることにしました。
テーブルに押しボタンが無いタイプのお店だったので不安でしたが、「注文が決まったらお伺いに参ります」との事で、安心。
しかし、いつまで経っても来ない。10分経っても来ない。このお店のお客さんはメニュー決めに10分以上かけるのがスタンダードなのかガチで来ない。喫茶店なので、居酒屋みたいに「すみませ~ん!!!」とデカい声で呼んでも良いのか迷いつつ、席を立って店員を呼びに行くのも恥ずかしいのでできず。
結局、別のテーブルを片付けてに店員が横切った所にガンを飛ばして気付いて貰えた。
こうして俺は、ドリアを頼むことに成功した。
しかし、何か俺の思っていたドリアと違う。
何だろう、チャーハンにクリームソースを上から乗せた感じ?
あんまり、ソースとライスが絡んでない感じで。クリーミーな感じが少なかったです。
美味しいお店なら、元気に写真とかを載せたりするんですけど。全部食いきれなかったんですよね。外食では初めてといってもいいくらいです。口に合わずに残すのは。
ちなみに、お店は全く悪くないですよ。Googleレビューもめっちゃ良いので。俺がタマネギ苦手ってだけですから。はい。
でも、マジで無理でした。あれだけは。本当にすみませんゆるしてください。
お金払ったんで許せ、と言いたいけど。残すのは倫理的にアレなので謝罪します。
萎え6
帰りに新○島駅で電車に乗ろうとしたんですけど、人が多すぎて乗れませんでした。
東京に行った時ですら、経験したことの無いような過密具合でした。押し退ければ乗れたかもしれませんが、俺はガラガラのローカル線と共に生きてきたカッペなんで、そんな都会の流儀は知らないです。
ちなみに電車多いから一本くらい良いだろと思ったそこのあなた。広○から福○方面に行く電車は1時間に一本レベルの少なさです。白市以降が無人の荒野(冗談、失礼)だからね、仕方ないね。在来線がローズライナーに勝てない理由です。俺は定期があるから在来線使うけどね。
という訳で、自分の不甲斐なさに絶望しながら帰路に着きました。
萎え7
家帰って晩御飯食おうと思ったら、テーブルが埋まっていました。実家暮らしなので当然僕以外にも人間はいます。その人たちがクッソ散らかしてました。直ぐに退けるとの事だったので、ヒューマンバグ大学の動画を見るなど、30分ほど部屋で時間を潰しましたが、いつまで経ってもチンタラチンタラ。
損切りして、風呂入って寝ることにしました。もう、遅い時間でしたので。
はい、という事で。晩御飯にも有り付けませんでした~
ガチ萎えな1日。140字で書けるか?こんなもん。無理や。
あ~~~~明日は朝からバイト。もう無理無理無理無理。

母が亡くなって10年が過ぎた
タイトルの通り、母が亡くなって10年が過ぎた。
10年と言葉にするのは一瞬だが、その年月は余りにも重く、人が変わるには十分すぎるほどの時間である。ましてや、13歳が23歳になるというのは。
当時の自分は今よりのずっとろくでもない人間だったが、今は少しでもマシな人間になれているだろうか、少なくとも仮に母が今の自分を見たときに失望されないような人間であることを願う。(自分自身を評価するのは難しいので願望という事にしておく。)
当時の記憶を振り返ってみると、丁度日付が変わって9月1日の深夜だった。
夏休みも終わり、明日から学校、そして体育祭の練習かと憂鬱な気持ちであったことを覚えている。廊下で叔母が祖父に、母が亡くなった旨を伝えており、その声で自分は目覚めた。その後、自分たちの部屋にもそれが伝えられ、病院へ向かうことになったのだが当時半分引きこもり状態だった上の兄弟に関しては、押し入れに入ったまま出てこなかったので、僕と下の兄弟とで行くことになったんだったか…
そんな訳で一週間ほど学校を休み、再登校した際には「七基君インフルだったの?」と交流授業の体育(体育祭の練習)で言われる始末。自分は目立つ感じの競技にはエントリーされていなかったので、集団で行うのらりくらり乗り切れば何とかなるようなものばかりだった。中学に入って初めての体育祭は練習不足を全く意識することなく、終わったと記憶している。
少し話が逸れてしまったが、最終的に祖父が後見人に付くこととなった。ずっと一緒に暮らしていた訳だし、母が入院してからは身の回りのことは祖父が行っていたので余り生活に変化は無いのかなぁと深くは考えていなかった。(なぜか、校長との面談があり祖父とこれから一緒に暮らすという事に納得しているか、意思を聞かれたりした。)
正直って3人兄弟揃って特別支援学級であるわけだから、齢80にして後見人になるというのは非常に重い決断だったのではないかと私は考えている。
これはとても幸運なことです。施設に入れられてもおかしくは無いのだから。
母が亡くなるまでは自分で何かを選んで決めていくという事を余りしてこなかった訳だから(中学入りたての子供なんて基本的にはそんなもんですが…)、世界の半分が無くなってしまったようなものですよね。
自分は13歳というまだこれからの時期だったので良かったんですが、上の兄弟に関しては15歳、既に進路とか諸々、ある程度は自分の意志で決めないといけない時期に転機が訪れてしまった。これが一番、気の毒なことだったなと今となっては思います。
自分の望むことはこれまで基本的に母親が叶えてくれて、どこの高校を受けるかとかも周りの大人に決められて。
上の兄弟に関しては僕と下の兄弟と比べて、母は特別気にかけていたような…と言うと語弊がありますが、髪の毛を切るだけでゲームを買って貰えたりとか、小学5年生になったら歩いて学校に行くように言われた一方、中学に入っても車の送迎を続けて貰えたりとか。
特別支援学級にいた時間に関しては9年間フルで在籍していたのは僕だけだったので、小学校入学時点で症状が一番ひどかったのは僕だと思うんですが…どうなるかはわからないものですね。
という訳で、こんな感じで人生の転機が訪れた訳なんですけど、最初はそんな変わりなく暮らしていたような気がしますね。笑
変わった事があるとすれば、自分の進路について少しだけ意識するようになったかなぁ…というくらいです。技術の先生が理科を教えに来てくれていたんですけど、自然を見てみよう!という名目で学校の周りを散歩するという授業があって、そこで進路について相談したり…という感じです。
自分で調べていく中で、人生一発逆転の手段として直近の機会が大学受験だという結論に至りました。そこから、普通の高校に進学して勉強を頑張って良い学歴を手にしたいと思うようになり、ちょこちょこ勉強をするようになりました。(ゲームは相変わらずしていましたが…笑)
結果として今は良い大学?(評価は様々あると思いますが)に行って実際に良い会社?(評価は…)から内定を頂けたかなと思います。
ただ、努力厨の方が言うような「努力が全て!成功してないのは努力が足りていないから」とかを言いたいのではなくて、努力するにも環境とか運が必要だなと考えています。
一番大切なのは努力をしようと思う、努力が必要だと思うきっかけ、ですよね。自分の場合は母親が亡くなって、進路について考えて、一発逆転をするには大学受験だ!!→つまり勉強が必要だという結論に至った訳ですが、大半の人は「何かしら興味関心に基づいてこれがしたい!」だとか周りの大人に言われるまま何となく勉強が大切だなぁと努力をする人が殆どなのではないかと思います。
この努力をしなければならないという発想に至る環境が無ければどうでしょうか?
例えば、親に虐待されている様な環境にある場合、何かしらに興味を抱きやってみようという発想に至るだろうか?否、それどころではないはずだ。
例えば、小さい頃から沢山の本に囲まれ、子供の好奇心を刺激する両親に愛され育った場合はどうだろうか?自分で目標を見つけ、それに向かって努力をしなければならないという発想に至るであろうことは想像に難くない。
大学受験や就職活動は高学歴・高収入の子供が再び高学歴・高収入になるための通過儀礼の様なものだと捉えられる気もするが、それに当てはまらない人にもチャンスがあることが事実ではある。
ただ、上で述べたような環境が醸成されていない場合、いくら努力をしてもというかそもそも努力をしなければならないという発想にすら至らないのではないか。
だから、自分は親はいなかったかもしれないが、後見人になってくれた祖父もそうだし、受験をさせてくれた環境を提供してくれたという面から相当恵まれていたと感じる。
学歴や年収でマウントを取っているような人というのは自分が恵まれていたという事にすら気付けていないのかなと度々炎上する某学歴系Youtuberとかの話題を聞く度に思うんですが、努力の成果で人を貶めることほど愚かなことは無いですね。(もちろん、どん底から自分の身一つで成り上がった人もいるかとは思いますが、人に「すべき」と言える努力にも限度はありますし、そんなミクロな事例について考えても仕方ない)
少し話の終着点を見失ってしまった気がしますが、とにかく。
今の自分を母が見て、少しでも安心してくれるならそれに勝る喜びは無いでしょう。
10年後の自分は33歳、どうなってますかね?
正直全く想像付きませんね、落ちぶれているか…更なるステップに進んでいるか…
まだ全然ゴールでは無いので、会社で上手くやっていけるかわからないし、そもそも卒業できるかどうか…(笑)(主に卒論)
頑張っていけたらなと、思います。
了
SNSという麻薬(未読・既読無視の事例紹介と考察)
Hello,Everyone
七基です。
皆さんはSNSやってますか?私は現在進行形でやってます。(Blogもそうだよな…?)
なぜ久しぶりにこんな内容で記事を書こうかと思ったのかについてですが、Xで某氏が恐らく裏垢の誤爆?(もしかしたら本当にポストしただけで、すぐに後悔しただけかもしれないですが)の様な物があって、非常に心の痛む内容だった訳です。
そこまでならよくある話やなぁ~(前も似たような事件があったし笑、モンハンのピンクの小型モンスターのアレ)って感じなんですけど、そこから都合の良いサンドバックを見つけたかのように、当人に対して「ずっと嫌いだったから~云々」とか「消えて欲しい~云々」だとかポストしてる内容があったり、被害者に対しても「こんなのも笑いに変えられないなんて~云々」とか方々で誹謗中傷の連鎖が発生しているのを目の当たりにしました。
当然、言ってはいけないことを言ってしまったわけですから、批判が来るのは当然だと思います。僕は誹謗中傷は良くないですが、批判は全然アリだと考えています、むしろ匿名性のあるSNS何ですから、大いに議論しあえる環境が整えられるべきであって、良質な批判というのもあるでしょう。ただ、「キモイ」だの「消えろ」だの、もうこれは誹謗中傷であって批判ではないでしょう。
何より人の悪口言うのって疲れません?疲れるよ、うん。
明らかに批判として言われている事に対しても「誹謗中傷が~」とかって言われた本人が言うのもどうなんだろうという感じはありますが(笑)
今回の件とは全く関係が無いが自分自身もSNSで悩んでいることがある。
そう、高校の同級生に連絡をしたら尽く無視されている現状だ。
CASE1 飯の誘い(既読無視)
冬も終わり、春の訪れを感じさせる3月の上旬。
就職を控え、新生活に向けた準備(と言っても地元就職だが)を進めているであろう、友人をラーメンに誘った。しかし、連絡が返ってこない。今までこんなことは無かったので「どうしたんだろう」、「やはり、迷惑だったか」と考えたが「忙しいのだろう」と自分を納得させて追いDMはしないことにした。
その1週間後ほどだっただろうか。誘った日の数日後に資格の試験があって、連絡に気付けなかった旨の連絡が来た。その間も、インスタにはログインしていたはずだし、俺のアップしたストーリーにも既読が付いていた。それでも気付かなかったという事があるのだろうか?その時は、直視し難い現実から目を背けるように「まあ、そんなこともあるのだろう」と自分を納得させた。
その後、車の話で少し雑談をするなど、レスポンスは遅いながらも会話をすることができたので、やはり自分の気にし過ぎだったのだと安心したのであった。
…優しい世界!となれば良かったのですがね
何ヶ月か経過した最近の話、「元気?」とDMを送ったところ「元気です」との返信が「仕事には慣れた~」と送った現在この瞬間まで既読無視。
数日間未読無視が続いており、現在は既読のためブロックは恐らくされていないのだろう。職場で上手くいっておらず、仕事の話題は地雷だったのではないかと、当初は考えたがストーリーに飲みの写真をアップしていたり、充実している様子からこの線は無いだろう。追いDMをする程の内容でも無いので、この友人との会話はここで終わり。
CASE2 体調不良の心配(未読無視)
高校時代に中の良かった友人が高熱を記録した体温計と病院で点滴を受ける写真をストーリーにアップしていた。私も心配になったので、「大丈夫?」との連絡をした。「入院かも~」的な返答が帰って来たので「そうなんだ、お大事に~云々」と連絡。
そこから未読無視が現在この瞬間まで続いています。
さて、考察ですが。まず当人には未読無視をしたという自覚は無く、DMが来た時の通知でメッセの内容が明らかになるので、それで見たのだと考えられます。そして、次ぎに返信をするべきか否かという思考に至るとは思うのですが、そこで「まあええか」となってしまったのかなと思います。
私の価値観では自分の体調を気遣ってくれた相手に対しては「うん、心配かけてごめんね~」とか「ありがと~、ゆっくり休むね」とか返したりはするかなとは思うんですが、それはあくまで私の価値観に過ぎないので、事例として紹介するには弱いかもしれないですが、自分からの心配は余り求められてなかったのかなと思います。
ちなみに、今回の事例は全て男です。女性とのメッセでのやり取りはする相手もいないので。(当たり前だよなぁ?)
CASE 3 シンプルなシカト
私は直近の記事でRoseliaについて言及をしたように、声優のリアルバント的な音楽等に興味関心を抱いている。当然アイドルマスターについても高い関心を抱いている訳だが、高校の友人にも同様の趣味を持つ人間がおり、同人活動などを積極的に行っている人だ。
ある日、デレマスの聖地巡礼を行った旨の内容を送信した。以前送信した際には、「凄い!」と3文字だけ返信があったので、今回も同様に動画付きで送信をした。結果は、現在に至るまで未読スルーである。
これについての考察についてだが、シンプルに私が嫌われているの一言に尽きるだろう。以前、彼の同人活動のXをフォローした所、ブロックされたので。
はい、解散!こんなもん事例に加えんじゃねーと思ったそこのあなた。違うんです。きいてくださいおねがいします。
以前、久しぶりに会わないかと誘ったら、快諾してくれて、駅まで迎えに来てくれたりインスタを聞かれて交換したりしたんです。Xもインスタも同じ名前だから探してフォローしたら、ブロックはされましたけど理由を聞いたら「Xは恥ずかしいから」的なこと言ってたんですよね。
嫌われてないですよね…?私の考察、外れてますよね?
嫌われるとしたら、高校時代のノリのまま、淫夢についての話を振ったら(そういう話は頻繁にお互いしていた)、「高校時代から思ってたんだけど、そういう話を所構わずするの辞めた方が良いよ?」とマジトーンで説教されて、解散後の感謝のLINEでも「本当に気をつけてよ」みたいな忠告をされました。
恐らく、それですかね?最後に会ったのはそれが最後です、飯に誘っても1回目は予定が合わないとのことで、2回目は未読無視、その後怖くなって送信取り消し。
そして、聖地巡礼に3文字とはいえ返信があったので、今回も送ったら未読スルー。
やはり、例のアレが契機ですか。完全にこれは私が悪いので言い訳できない。
CASE4 一番仲の良かった友人から、シカトの連鎖。
高校時代、基本的にはつるんで一緒に行動を共にしていた人間が誰しもにいたと思う。私も例外ではなく、クラスも3年間一緒、特別支援学級にいたという経験も他の誰のも打ち明けなかったが、その子にだけは在学中に打ち明けた。修学旅行でも同室となり、恋愛の酸いも甘いも共有をし、更には浪人先の予備校も一緒だった。
違う大学に進学した後も、彼が地元に帰る際には飯に誘ったり、彼の大学が位置する街に観光で行った際には、一緒に市内の名所を回ったりもした。
これからも、機会が合えば行動を共にするのだろうと思っていた。
そんな機会についてだが、彼が以前バンドリを好きで高校時代からプレイしていたという話を思い出した。自分がRoseliaを知ったのは今年の三月だから、まだ日は浅く、彼に聞いたところ昔ライブにも行ったことがあるという話をしてくれた。(返信はこの時から遅かったので、数日待つ位のことが続いていた。
5月にある福岡公演はまだチケットがあったので、誘えば一緒に来てくれるだろうかと考えた馬鹿な私は、彼に「ライブがあるから、一緒に行かないか?」という旨のLINEを送った。彼からの返信は「チケット代っていくらなん?」とのメッセだ。「これは、乗り気だな~計画を立てるぞ~」と胸を高ぶらせながら、スクショを添えて「1万円位かな~」とのLINEを送った。しかし、1週間が経過しても返信が無い。連番でチケットを取りたかったので、無くなる前に早々の返信が欲しかったのだが(相手も経験があるのでそれは知っているはず)、返信が無い。日に日に、心に影が刺し始める。怖くなってい追いLINEをする勇気もない。
1週間が経過したある日、全く関係の無い動画(編集が趣味なので)を送ってみたところ反応があった。それに合わせて、「今回は1人で行くことにした、突然誘ってごめんね」と送った所、「ごめん、楽しんで来て」という旨の返信が。
この瞬間、「ああ、私は断られたんだな」と理解することができた。
その後も、何気ない連絡をすることがあり、未読無視をされたり、数日後に返信が来たりという事があったのだが、6月の末頃に連絡をして以来、未だに未読スルーが続いている。
すみません、この事例については書いてて辛くてしょうがないので、ここまでとさせてください。
考察についてですが…ガチで嫌われた理由に心当たりがありません。
遅いながらも、返信は来てましたし…
強いて言えば、しょうもない事を送り過ぎたのでしょうか?内容が面白くなくて、定期的に連絡は来るけど、向こうはフェードアウトしたかった。ずっと付き合って来たけど、もう実はウンザリで連絡辞めたかったとか?
あんまり考察したくないですね。共通した好きなコンテンツができて、色々話ができると思っていたのに残念です。
CASE5 大学で趣味の合う友人ができた、と思ったら…
これは2年くらい前の話なので、記憶に朧気があり、短くなるかもしれない事を予め断っておく。あれは、語学の演習でのことだった。周りは一緒に来ていた友人とペアを組んて行く中、友人のできなかった僕は、当然の如く孤立してしまった。そこで一人の同学部・同学年の男性が「せっかくなので、一緒にやりますか」と声をかけてくれた。断る理由など皆無だったので「ぜひ!お願いします」と快諾。
その後の演習もペアで行う機会が増え、趣味の話などへもつながって来ることとなった。彼が「FGOとかやってるんだよね~」と教えてくれたので、何とか話を合わせなければと思い、私も「FateならDEEN版のStay nightと劇場版のUBW見たことありますよ!」とカウンターを返す。彼が「せっかくなので、LINEとか交換しませんか?」と提案してくれたので、これも秒で快諾。初めて大学で同期と交換したLINEだった。
演習も終盤に近付き、夏も本番のある日「休みにどっか遊びに行きたいですね」とのラインが僕も秒で「夏休みにですか?」と送った。
返信は無かった。
その後試験期間に入ると、僕が最初の授業だけ出て履修取り消しした授業について彼から「○〇の課題ってもうやった?」との連絡が。
「人間からラインが来た!」
人との会話に飢えていた私はこれまた秒で返信
「ごめんなさい、その講義は履修取り消ししたんです」
「そうなんだ、ありがとう!」
「大丈夫そうですか?」
「大丈夫、心配かけてすまない」
会話は終わった。
夏休みのある日、彼がアニメもよく見ると話していたことを思い出し、8月の末頃に今見ている夏アニメについてのラインを送信し、「○〇さんは何か見ている作品有りますか?」との旨を伝えた。
返信は無かった。
翌年の二月、彼の誕生日だという通知が来た。
私は「○○さん、お久しぶりです。誕生日おめでとうございます。」と
「君からお祝いが来るとは思わなかった」
とのこと。
理由については、考えたくもないし、分かりたくもない。
知らないし、興味ないし、教えて欲しくない。
しかし、今回は考察もやるというテーマなので、過去のトラウマに向き合ってみたいと思う。
まず、第一に彼は変わった人だった、喋り方も独特だし専攻科もマイナーというか珍しい学問だった。頭の良い大学に何人かはいる変人という部類に入る人間だろう。(失礼になるかも、それはごめん)
だから、あんまり悪意とかは無くて、普通に同じ1人だった人を見つけて声をかけて、気まぐれで遊びに誘ったけど、気が変わってやっぱやめよ~ってなっただけだと思う。
ラインについても返さないのが普通で、我が道を征くのだ的な感じで。
誕生日については本当に俺から来るとは思ってなかっただけで。
それだけなんだと思う。
以上!!!考察、終わり!
CASE 番外編 スーパー塩対応
大体語りつくしたので、1つ趣向を変えた内容で記す。
返信は帰ってくる、相手からも何もこちらから連絡がなければ2週間に一回は近況報告のラインが来る。高校在学中から現在に至るまで、他愛ない雑談から社会情勢の議論までジャンルを問わず幅広い会話を行ってきた。(下ネタ含め)
10日ほど前だったか、いつも通り自分からラーメンの写真と感想を送った。(彼も美食家が言い得て妙というほどの食通で良く送ってくる)
帰って来た返信は「そうなんだ」
この五文字
いつもだったら、「どこ行ったの?」とか「美味しかった?」とか「いいね」とか帰ってくる。
戸惑った私だったが「そうなんです」と返信。
既読は、付いた
会話は、それ以来ない。
向こうからも来ない。
さて、考察しますか~
本当に心当たりがないんですけど、あえて言えばですよ。
「ラーメン、並んでるだけあって美味しかった!ただ、餃子は多分業務用かな。あと中々来んくて、替え玉食べ終わった後に来たわ」
的なことを送りました。
後半がネガティブな内容だったので、それで反応が難しかったのでしょうかね?
それか、彼にとってのお気に入りのお店で(自動車学校の帰りに寄った、彼も同じ自動車学校に行っていたので、同じ店にかつて行っていた可能性はある。)批判的な事を言われたのが気に入らなかったのか。
こんな所でしょうか?
皆さん、拙い長文をここまで読んでくれてありがとう。
夜も遅いし、明日も朝から仕事なのでこの辺りにしておきたいと思いますが、このような積み重ねが私の心を蝕んでいます。
念のため言っておきますが、ビジネスメールなどとは違って、友人同士のDMやラインなんてものは本来は返信義務何て無いんです。
それを無視だなんだって言って騒ぎ立てている私が異常者なだけであって、心が狭い人間だから、相手にもそれが分かって距離を取られているだけなんですよ。きっと。
最近はずっと、それで悩んでいます。
私は、「SNSを通じて行う人との会話」という麻薬に依存しており、今はその離脱症状に苦しんでいるんです。
私は、この依存から脱却するために、「もう自分からは依存しない」という決意の元、それを実践しています。(一人だけ、遅いながらも何気ない内容にも長文で返信してくれる方がいて、その人とは最近会話をしました。)
重ねて言いますが、これは私の問題であり、相手は何も悪くありません。
悪くないんです。
これだけは本心です。
それでは、過去最大クラスの長さになってしまいました。
1時間30分くらい言葉を選びながら丁寧に執筆しました。ミスもあるかもですが笑。
もし、最後まで読んでくれた人がいたら。ありがとう。
同じような悩みを抱えて辿り着いてくれたなら、勇気を出して、一度チャットから離れてみよう。
好きなコンテンツがあるなら、好きだと言ってみよう。いつか同じ「好き」を共有できる人がきっと見つかる…かも笑。
それではまた、長文失礼しました。
P.Sちなみに僕はRoseliaだと氷川紗夜ちゃんが一番好みです。シャニマスの風野灯織とか優等生系ポンコツキャラってなんであんなに魅力的なんですかね?
分かる人います?
まあええわ(笑)
Roselia LIVE TOUR「Rosenchor」に参加してきました(福岡・東京DAY2)
こんにちは、七基です。
私は人生の中でこれまで一度もライブ・コンサートというものに行ったことが無かった。(なぜか敷居の高いイメージがあった)
ただ、今年の3月頃ですかね。私はゲームはあんまやったこと無いんですが、アイドルマスター系の楽曲が好きで、作曲家で言うと椎名豪さんとか上松範康さんとか、まあ色々あるんですがその時はTriadの曲とかを結構聞いてまして、それ繋がりでRoseliaのFIRE BIRDを聞きました。
それにかな~り心を打たれまして。調べてみたところ、どうやら5月の下旬に福岡で単独ライブをするとの事なので、ライブとか経験したこと無いし、せっかくだからこの機会に行ってみようと完全に勢いだけで参戦することとなりました。

という訳で行ってきました。
聞き始めてから2ヶ月ほどしか経過していなかったんですが、割と自分の知っている曲とかも出てきて嬉しかったですね。
↓セットリスト(めっちゃ知ってる○、聞いたことはある△、修行不足×)
__________________オープニングアクト
ボーカルの子をAI化したシンセソフトがあるみたいです。
__________________メイン
ROZEN HORIZON ○
BLACK SHOUT ○
熱色スターマイン △
PASSIONATE ANTHEM ○ 覚悟のLiberation ×
"UNIONS" Road ×
THE HISTORIC… △
R ○
軌跡 ×
約束 △
Dear Gleam ×
一逢のFull Glory ×
__________________アンコール
FIRE BIRD ○
VIOLET LINE ×
いや~知ってから2ヶ月の新参者なので、あんまりコールとかもわからんし、聞いたことの無い曲とかもあったりで予習が足りてなかったなぁと反省しました。
特にトリのVIOLET LINEでは会場全体で歌うみたいな感じになったんですが、これもライブに慣れていないせいか、あんまし声を出せなかったというのに悔いが残る。
しかし、ライブ全体としての満足感は非常に高く完全に心をを奪われてしまったため、東京公演Finalにも参戦することとしました。
普通の席はもう埋まっていたので見切れ席ではあるんですが、行かなきゃ後悔しますよ。これは絶対。
という訳で、東京公演にやって参りました。

有明にあると東京ガーデンシアターが会場でした。
福岡もキャパは2000人くらい?あったと思うんですが、こちらは8000人ほどという事で、非常に規模感があり、会場周辺にも人人人と恐らく参加者であろうという人で溢れておりました。
有明ガーデンという商業施設もあったんですが、そこでもRoseliaの楽曲が流されておりまして「-HEROIC ADVENT-」がめっちゃ流れてたんで、アルバムにもあったしこれはライブでやるんやろなぁ…と思っていたらやりませんでした。笑
ただ、ちょっと気になったのがトイレの使い方ですね。女子トイレで列ができるのはあんまり珍しい光景では無いと思うんですが、男子トイレでもかなり長蛇の列ができていました。
ライブTシャツとかに着替えている人が多かったのかな?という印象なんですが、手を洗う水道の前を占拠して着替えてるおっちゃんとかいたので、「それはまずいだろ…」とか思ったんですが、さすがにOUTですよね?(そもそも着替えのためにトイレの個室を使うというのも…→元々着てくるのが普通ですよね?)
僕の席は見切れ席だったんですが、ステージは問題なく見えました。ただ、モニターの上の方は中腰にならないと見え辛かったかな~という感じです。最後列だったので、後ろに人がいなかったのもGoodですね。
↓セットリスト(めっちゃ知ってる○、聞いたことはある△、修行不足×)
__________________オープニングアクト
__________________メイン
ROZEN HORIZON ○
ONENESS ○
PASSIONATE ANTHEM ○
覚悟のLiberation ×
"UNIONS" Road ×
THE HISTORIC… △
R ○
軌跡 ×
Sprechchor △
Dear Gleam ×
一逢のFull Glory × Floral Haven △
__________________アンコール
FIRE BIRD ○
VIOLET LINE ○
前回の反省を活かしてVIOLET LINEはちゃんと予習してきました。今回のライブツアーのメインですからね。そして福岡公演の最後に告知のあった新曲「Floral Haven」も披露されました。熱い展開です。
Zeal of Proudも好きなんですが、そちらはDAY1での披露だったようです…
両日参加することができれば良かったんですが、生憎土曜日はバイトで……
その代わりDAY2ではONENESSがあってこれも大好物なので満足です。今回はコールとトリのVIOLET LINEでも腹から声を出すことができたので、会場の一体感に加わることができて良かった。
FIRE BIRDではサビでマイクトラブルが起きるというアクシデントがあったみたいなんですが、声出しに夢中だったので「演出なのかな…?」位にしか思っておらず、後にSNSで知りました。気付けていたら、もっと声を出していたんですが…
帰りはスマホがフリーズしてしまい強制終了の方法もわからなくなるというアクシデントがあったんですが、

このせいで国際展示場駅への道が分からなくなってしまい、全く別の道に行っていたんですが、ライブ帰りとみられるおっちゃんに道を聞きまして無事に到着できました。
その節は本当にありがとうございます。
という訳で、人生初のライブ参戦という事でしたが、個人的には非常に楽しむ事ができました。
また別の話になるのですが、Mygo!!!!!もアニメを見て、曲にもハマってしまったので7月28日のライブDAY2に参戦いたします。
もしお会いすることがあれば、ぜひ。(顔出ししてないけど)
そして、12月に行われるRoseliaとムジカの合同ライブ、先行抽選権(アルバム買った)を持っていますので、当選すればこちらにも参戦しようと考えています。これは両日行けると良いなぁ。
という訳で、長文失礼しました。
お久しぶりです
こんにちは。
こちらのブログ、もう半年以上放置していたんですが、久々に何かしら書けないかと思い、再びログインいたしました。
本当に自分の日記みたいな感じでやっているので、書かなかったところで何かあるということではないんですが。
最近の悩みでも書いておきますか。
最近は就職か大学院への進学かで迷ってます。
ブログを書いてなかった間、私はボーっと生きていたわけでは無くて進路に悩みながら就活したり、卒論の準備をしたりと人並み、The平凡な大学生活を送ってきました。2年生の頃は、大学に全く話せる人がいないという状況でしたが、3年の後半からは同じ研究室の同期と、飲みに行ったりとかそんなこともあり、入学時の時を考えると、夢のような時間でした。
大学生活も折り返しを迎えるという時期に、そんな経験をしてしまうと、これまでの大学生活は何だったんだ、もっと何かできる事があったんじゃないかとか、あり得たかもしれない事を考え、あの頃に戻りたいな~と思ってしまいます。
研究についても、大学で何かを学ぶ以上は形にしたいという思いがあり、それは卒論じゃダメなんですか?と言われれば「それはそう」と思うんですが、学術雑誌とかに乗るレベルの論文を書いてみたいという思いを若い頃(数年前)には思っており、大学生活で何も成し遂げいないという現実が、より私を進学へと迷わせる要因となっています。
しかしながら、冷静になって考えてみると卒論の進捗が芳しくない現状、3年時のゼミでも自分の至らなさを集団の前で指摘され、恥をかいてしまったことにガチ凹みするなど、大学院に向いていないのかもしれないなという現実を否が応でも理解させられています。
それでもなお、就職と進学を迷う理由として、自分の根底に「まだ大人になりたくない」「自分のやりたいことがわからない」など浅慮が過ぎるモラトリアムへの渇望が理由として挙げられるのではないか、そしてそれを認めたくない自分という所に嫌悪を感じざるを得ません。
実際就職も、BtoBなので知名度は無いかもしれませんが、真面目に勤続を重ねていればいずれは大台の1千万に届くかなというような企業で、残業が多いことを除けば雰囲気も良さそうで非の打ちどころがない会社から内定を頂いています。(地元に帰る可能性が万に1つも無いというのが不安ですが…)
その為、間違いなく正しい選択肢ってきっと就職なんですよね、きっと。
でも、辛い。大学進学した時もそうだけど、「あの大学に入っていたら…」とかありえたかもしれない別の可能性、人生は一度で取り返しが付かないからこそ、それを考えると、考えても意味無いってわかってても追い詰められてしまうね。
周りの同期は何であんなに進路を決められているのだろう。
光回線のONU(ルーター)を交換して貰いました!
こんにちは、七基です。
およそ2カ月ぶり位の更新になりますね。とにかく大学やらが忙しくて、もう書く気力が無いというか、書くことも無いというか…
さて、今回は我が家のONU(光電話ルーター?)を新しい物に取り換えてもらったので、その流れについて書いていこうと思います。
なぜ書こうと思ったかなんですけど、このONU、フレッツ光系列の光回線を契約しているユーザーに対してNTTから無料で貸し出されるもので、基本的には壊れるまで交換してもらえないんですよね。つまり、古くなったから最新の機種と交換してくれって言うのは通用しないってことです。

私の家で使っていたのはこのPR-S300SEという型番です。私が小学校…何年生だっただろうか…位から家にありましたので、最低でも10年以上は経過していますね。製造も2009年となっていますので。
故障かな?と思ったきっかけは、光電話の調子が悪くなったことですね。具体的には電話を取って相手の声は聞こえるけど、こっちの声が相手に届かない。
最初は電話機が悪いのかと、本体とコードを新品に変えたのですが、それでも改善しない。そこでONUの電源を切って再起動すると治ったので、取り合えず大丈夫かなと思いました。
しかし、ちょっと時間が経つとまた同様の現象が起きて、再起動をすれば元に戻りました。なので、ONU側に問題があるのかなと考えてNTTのコールセンターに電話をすることにしました。
なんやかんやあってONUの故障じゃないですよと言われたんですが、本体もコードも新品にしていて手詰まりだったのと、古すぎて新しいのに交換して欲しかったので(笑)
「有料でもいいので交換してもらう事はできますか?」ということを聞いたんですが、「できないそうです」と言われたので、あららと思いましたが、その後何があったのかわかりませんが、交換してくれることになりました。(マジで何でかはわからん、単純に古かったから?)
とにかく、訪問して交換して下さるとの事で3300円?だったかなそんくらいかかったような気がします。

と言う訳で交換してもらいました。電話はちゃんと使えるので、やっぱりONUがおかしかったんじゃないかなぁ…(素人なので何とも言えませんが…)
ネットの方は特に早くなったとかは無いですね。PR-S300SEの時点で1gbpsには対応してたっぽいので当然と言えば当然ですが。
完全にぶっ壊れないと交換してくれないんじゃないかなと思ってたんですが、意外とそうでもないのかな?自分からするともう壊れたもんだと思ってましたので、交換してくれてとても嬉しいです。
10年以上も使ったんだからねぇ笑 もう型番も600番台が出てるみたいですし、電話の人にも同じ型番はもうないって言われたので、10年経過で無条件交換とか、してくれてもええんですやで。
それでは、また!