七基の日記

特別支援学級出身・地方国立大学生の日記

私が教職課程を諦めた理由

こんにちは、七基です。

皆さんは将来の夢とかありますか?私は一応ありました。(過去形)

そう、教員になりたかったんですよね。でも、先週正式に辞退の手続きをしに大学まで行って、紙一枚でカタが付いてしまったので割とあっけない感じだったなぁとその時は思ったのですが、色々と自分の中で整理がついて、理由について発信してみようかなと思い、この記事を書くに至っています。

私もどうしたものかと迷っているときに、教職課程について書かれたブログを拝見させて頂いたりしていました。あくまで私個人の意見であるのですが、何か少しでも参考になったりすれば嬉しいなと思います。

1.そもそも教員になぜなりたかったのか?

まず、なぜ私が教員を志すようになったのかという所から述べていこうと思います。それはブログタイトルの下にも書いてある通り特別支援学級に通っていたという所があります。支援学級は一人の先生が基本的に全て担当していたので、先生と関わりを持つ機会が多く、かなり距離が近かった様に思います。そして、至らない点の多かった自分(療育手帳こそ持ってはいませんでしたが小さな頃は多動性がかなり強かった)に対してきちんと指導してくれる教員に小中と出会ったということが一番大きいと思います。

そして、私自身の何者かになりたいという一つの目的意志。自分の生きた証を何らかの形で残したいという思いがあったことは確かです。教員というのは自分が生徒を育てるという形で残すことができますから。(もちろん他の職業であっても残せるとは思いますが、人材という明確な形(上手い言い回しができなくてごめんなさい)でかつ人の記憶に残るという仕事もそれほど多くないだろうと考えます。

以上の小さな頃にお世話になった先生の影響、そして自分自身の何者かになりたいという目標?のようなもの、それが教員を志望するに至った理由です。

2.進学先について

大学名については明言しませんが、現在私は教育学部にそれなりに自信を持っているであろう、大学に浪人してまで通っています。浪人時については異なる大学を志望したのですが、現役の時は現在通っている大学を受験して不合格となっていました。

志望した理由については教員養成に強いということもあったのですが、自分が最も影響を受けたと感じている高校時代の先生がその大学に通っていて、ここでなら自分もその憧れに近づくべく学びを深められるのかなという思いがやはり大きかったです。ちなみに教育学部は専攻によっても違いますが、免許が卒業要件ではないので、取らない人も一定数いるみたいですね。

3.教職課程を諦めるに至った理由

小さな理由も合わせると結構な数があるのですが、まずは3つの理由からお話できればと思います。

1.自分が凄く嫌な教員になるのではないかと思った。

自慢では無いのですが、自分の規範意識は人より高いと思っています。高校時代はスマホの持ち込みが禁止でしたが、3年間一度も持っていく事はありませんでしたし、同期が見つかってクラスの集会が開かれたときは「面倒だなぁ…」とか思ったりもしていました。(笑)授業中にも眠くなることは当然ありましたが、机に伏せることだけはありませんでしたし、立場の弱い生徒が程度の低い嫌がらせを受けているのを見れば不快にも思いました。

でも、これは決して私が人間的にできていて、教員に向いている性格をしているかと言われたらそうではないなと思うようになりました。それはただ臆病だっただけ何だろうなと思うようになったためです。スマホや授業態度についても怒られるのが怖かっただけだし、嫌がらせを不快に思っても止められなかったのは、自分が嫌われてしまって不都合を被ることが嫌だっただけなのです。

それだけなら、臆病なだけで済むのですが、無駄に意思表示が強くなってしまう事が時としてあって、高校3年生では受験直前の自習時間に騒いでる人がいたら大きな声を出して注意したりということがあったり、大学1年生では語学の時間に嫌味っぽくあまりにも酷い授業態度について意見をしたら、Twitterで悪口を言われたこともあります。それが、全体を意識したための行動であるなら良いと思うのですが、振り返ってみるとただ快不快で動いた結果なのかなと思います。

その臆病で利己的な規範意識を抱えたまま、教員になったとしたらどんな先生になるのだろうか、そう考えれば考えるほど40人の人生に責任を持つ立場として自信が無くなってしましました。後、仮に嫌われたとして裏で酷いことを言われたりするのかなとか…(笑)

2.人前に立って教えることが得意ではないと気付いた

教職の講義を通して、校務分掌など色々な業務がある事を学びました。しかし、教師の本分は何かと問われればそれは授業であると私は考えます。

高校時代には割と積極的に人前で何かを積極的に発表するということをしていたような気もしますが、それも念入りに準備を重ねて台本通りにやってようやくといったレベルでした。とにかく、アドリブ力に欠けていて、トークに光るものがあるわけでもない、そんな人間です。

受験を終えて自信を失っていたこともあり、1年生の初年度ゼミでは人前で発表することもありましたが、信じられないほど足が震えていた自分に驚いたことを今でも覚えています。心なしか声もブレブレだった気がするし、ちゃんと伝えられていたかがとても不安になりました。

3.教職課程を通じて感じた周りとの温度差

教職課程を正式に辞退したのは2年の終わりでしたが、どうしたものかと考えていたのは入学からでした。しかし、1年と2年の前期までは関連した単位については割と取得を頑張っていたと思います。ただ、本気でやっている人との温度差はどうしても感じていて、ディスカッションなどを通して人を議論をしていくとなると、どうしても自分の意見というのはどこかで聞いたことのあるような、ありきたりな物になってしまっていました。課題などへの取り組む姿勢についても、だんだんとしなければならない事を消化するというように変わっていきました。

もちろん、「大学生なんてそんなもんだよ」と思うかもしれません。ただ当時の私は大学で友人を作り損ねてしまったこともあって、同期と関わるのは講義の中で上辺だけの話をするくらいでしたので、自分がどのような立ち位置にいるのか、考えは比較してどうなのか、メタ認知する機会に恵まれず、一人で考えてネガティブな方向へと突き進んでしまいました。

そして、教職課程についてもシラバスとかには「真に教職を志す人間だけが履修して下さい」という記述がありました。就職の際の保険(実際はならないが)や何となく取ろうかなという人もいると思うので、そこまで気にしなくても良いんだろうなと思いましたが、実習公害という言葉もあるらしいし、迷っている時点で厳しい教育実習を乗り越えられるのかと考え込んでしまい、踏ん切りがついたという形です。

しかし、説明会に参加したところ教育学部以外の人もたくさんいましたし、「思い出作り」や「取り合えず」など色々聞き耳を立ててみると言っている人がいましたので、理由はどうあれ取ろうとする人に対して指導はきちんと行ってくれるようには思うので、迷っていたとしても取ろうとすること自体は間違いではありません。(むしろ諦めた自分にとってはリスペクトの対象です)

4.その他小さな理由

1.高校の科目と大学の学問のギャップ

高校時代までの科目と違って大学では学問チックになるので、講義を受ければそれが100%科目の指導につながるという物ではありません。もちろん、それに対して全力で取り組み、理解することで科目自体の理解につながることは言うまでもありません。

しかし、私は大学で初めて学ぶ内容と、高校までの科目の内容に対して全く異なるもののように感じてしまったのです。成績についても試験よりもレポートで評価される場合が大半で、授業の内容を覚えて問題を解くということは高校時代までは当たり前でしたが、自分で考えて意見を述べてレポートという形に残すということは少し難しく感じてしまいました。

その時点で、自分は地理や歴史が好きなのではなく、あくまでその問題を解くことが好きなのであり、大学で行うようなアカデミックな領域にはあまり関心が持てないのなら趣味や雑学収集程度にとどめておいた方が良いのではないかと考えるようになりました。

2.楽しかったあの頃に戻りたいだけ?

小中では特別支援学級、大学では課外活動にも所属することも無く若干孤立気味ですが、高校時代には知り合いが誰もいない高校に進学したこともあり、一から始めてみようという意欲もあったことから、友人にも恵まれてそれなりに楽しく高校生活を送れていたようにも思います。

運動部に入って汗を流したこともありますし、そこからのつながりで男女交際に至ったこともあります(2カ月として続かなかったので、交際したと言えるのかはかなり怪しいですが(笑))

そんな楽しかった高校時代に教員という形で戻りたかっただけなのかなと考えると、少し動機としては不純だろうなと感じました。

3.採用試験の倍率について

私の県での高等学校の地歴科はおよそ6倍ほどで、地歴に限らず高校の先生は一発合格が珍しいそうです。講師の枠も無限ではないので、未経験の新卒がいきなりポストを貰えるとは限らないし、不採用だった場合は生計を立てながら翌年度の採用試験で合格を目指すのは少し私には難しいようにも思いました。

 

これまで色々な理由を挙げてきましたが、振り返って考えてみると私はとにかくネガティブ思考であることが何となくわかってもらえたかなと思います。時に生徒を鼓舞したり、人生相談に乗ったりする教員がマイナス思考だと余り生徒には良い影響は与えませんよね。ただ、ネガティブ思考が問題というよりも私の場合はやらない理由、できない理由を考え続けてしまったことが原因だと思います。だから、ネガティブな人でも結局は意志ですから、今回私が諦めた理由に共通する面があっても諦める必要は一切ないです。

むしろ私は、積極的に目指して欲しいとも思っています。目標を無くした今、私はこれからどうしようかなと凄い悩んでいますし、停滞した自分を何とか前に進ませたいと思っています。ただ、他に向いている事を探すためには教職課程と両立するには、要領の悪い私にとっては余りに難し過ぎた、それだけなんです。

私の高校時代の友人に理系の道へと進んで、教員は特別志していないのですが、中高の理科の教員免許を取ろうと頑張っている人がいます。本人曰く、選択肢を広げるためだそうですが、文系の私より確実に忙しいにも関わらず、成し遂げているのです。人と比べてもどうしようもありませんが、両立することも可能なんだということは知ってもらえればと思います。

ただ、何かを諦めて新しく何かを探そうとすること。これ自体も貴重な経験には違いありません。どっちつかずな締めになってしまって本当に申し訳ないのですが、自分で諦めたり、続けることを選んだりするというのは本当に大切なことだと思います。諦めると言うとネガティブに聞こえますが、ゆっくり前に進むための時間を手に入れたと自分では捉えるようにしています。

今回の話が見てくれた人にとってどれほど有益なものになったかはわかりません。でも、少しでも自分の意志で選択をする。その力になれたのなら嬉しいです。

それでは、また!